これまでの花日記

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オトメツバキ

数年前、実家へ行った帰り、放置された建物の周りに生い茂った雑草の中に、バラかと見まがうばかりに大輪の、薄桃色に咲き誇る オトメツバキを数輪見つけた。よく見ると囲い越しに手を伸ばせば届くほどのところにある枝が折れて、木の皮一枚でぶらさがっていた。

私はつま先立ちに手を伸ばし、その枝をそっとバックに忍ばせて帰ったのである。もちろん挿し木をしてしっかりと根付きました。 けれどもそれは、この美しい椿姫が開花するまでの長い期間に渡る受難の日々の始まりでありました。

やはり美人じゃあない美花でありますから驚くほど虫がつく。シャクトリムシ・チャドクガは云うに及ばず、幹全体が粉をふいたよう に白っぽく見えるほど、小さなカイガラムシみたいのにも取りつかれた年もあった。

その度に私は大奮闘をして、このときばかりは残酷な怪物に変身する羽目になる。美しいお姫様を守る騎士の気持ちがよくわかりますよねぇ。 けれどもやっつけられるのはまだいい方、一番の大物はトビモンオオエダシャクでありました。

それは根付いてから多くの受難を乗り越えてなんとか成長していたこのお姫様を、西日ではあるけれども日当たりのいい場所に移して、 少しは見栄えがするようにと下枝を切り落とし形を整えた矢先であった。

上に伸び始めた新芽に安心し、しばらく忘れていたある日、ふとみると整枝したはずのところに一枝余分な枝があるのに気がついた。 葉はついていない。裸んぼの枝である。あら 切り忘れがあったのかとハサミを取りに行きその枝を切り落とそうとして手を止めた。

なぜだかわからないがこれは木の枝ではないと直感した。ハサミの先でそっとつつくと柔らかい感触なのであるが、動くわけではない。 ちょっと背筋がぞくっとする。これが後で調べてわかったことだが、トビモンオオエダシャクと云う男爵みたいな高貴な名前を持つ虫 (尺取り虫の種類)との初対面であった。

他にもいるのかと小さな椿の木の隅々まで探してみたが一匹であった。彼の食欲は旺盛で葉を次々と食べる。小さくて葉の上で集団で食べる チャドクガは、葉脈を残し葉を網目状にするが、彼は葉の先からむしゃむしゃと食べる。

葉はみるみる三日月型になり、それが細りやがて幹から落ちる。彼は葉の上に乗ることもない。幹に自分の体を枝のようにくっつけたままである。 ところで彼がこの椿姫に間借りをしている間、私は彼が移動する姿や、食べている姿は見たことがないのである。

つまり生きて動いているという感触が全くなく、ただの枝であった。本物の枝と違う所は日によって、また見るたびに、 その位置が変わっているということだけなのである。気になるので日に何度かチェックするが一日中見ているほどの暇はない。

夜間あるいは早朝に動いたり食べたりしているらしいが、昼間も先ほど見た位置とは違う所にいることもある。ほら 子供の頃の遊びに 「最初の第一歩」というのがあったでしょう。鬼が後ろを向いて数を数えている間にさっと動くというあの遊び。

それと同じように私には彼がわたしが来ると思うとピタッと動きを止め、向こうへ行くと素早く位置を変えているとしか思えないのである。 そのうちこの小さな椿姫は丸坊主になることは目に見えているが、わたしは彼の魅力に負けてどうしても取り除けない。

情が移って可愛くさえ見えて来るから不思議である。そのうち蛹かなんかになるのだろうか。それともヒヨドリなどにに食べられてしまうかもしれない。 でもこの枝ぶりじゃあヒヨドリも騙されるに違いないと椿姫が心配なのか彼が心配なのか自分でも理由がわからない精神状態ではある。

そんなふうにして春から夏を越し初秋の風が吹き始めたころ、何の前触れもなく彼は忽然と消えた。植木鉢の周りも下も周囲も探してみたが 煙のように消えてしまった彼の姿を二度と見ることはなかった。私はしばしペットロスになったが、てっぺんの葉が二,三枚になった椿姫は息を吹き返した。

ほどなくして復活したこの椿姫を地植えにしたところ、次の年の春先、まだまだ寒さが残るころに小さな木に10輪ものつぼみをつけ、 あっという間にあの見覚えのある上品な薄桃色の大きな花を咲かせた。

トレリス越しに隣のばあちゃんがきれいなバラが咲いたねぇとびっくりしたが、すぐに小さな椿の木だと気がついてまた驚いていた。 このオトメツバキちゃんの背丈は、まだ周囲のミョウガの葉に隠れてしまうほど小さいが、それでもこの夏ずいぶん成長した。

まだまだ受難は続くに違いない椿姫には悪いけれど、私はいまだに、もう一度、繊細且つ慎重な行動をする誠に魅力的な虫とも思えない虫 トビモンオオエダシャクに逢いたいような気もするのである。

2015.9.13