これまでの花日記

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ヤマアジサイ

私が毎週一回通っている歯科医院の前に「野の店」という名の花屋さんがある。十字路の角にあり、 真新しくて、しゃれた構えの店である。ここは駅前の一等地で、以前はこの通りをまがって、少し行くと、古びた市場があった。 時代とともにさびれて、リニューアルされスーパーになっていたが、それもつい3.4年前にマンションに建て替わった。

その時、花屋・米屋・魚屋・化粧品屋・総菜屋など数件の専門店がほかの場所に店を移した。「野の店」もそのひとつである。

角地という立地を生かして入口の一方の壁は、透明の四角いガラスがはめ込まれた大きな窓の様な造りなので、 店には前からも横からも光が入り、店外の色とりどりの鉢植えの花の向こうに、店内の花たちが望め、 神戸のしゃれた通りを歩いているような風情を作り出し、そこは一気に華やいだ。

ところが市場の狭い入口にあったころからの店主はそのままで、花屋さんに似つかわしくない背の高い、 ちょっといかつい感じの人なのだ。その上髪の毛は伸びてはいないけれどしゃきっと刈り上げたのでもない、 寝癖のついたようなもしゃぉもしゃ頭で、後ろは薄くなりかけている。背が高いぶん猫背でもある。

今は華やかな花屋の店主殿であるだけに、この人自身は、市場のころよりさえない感じに見えるようになったと、わたしはひそかに思っていた。 奥さんだろうかそれともパートの人なのか、小太りのおばさんがいるにはいるが、客足のない平日の昼下がりなどはおじさん一人の店番である。

私はこの一年ばかり毎週歯科医院に通っていたから、嫌でも応でも花の店に目が行って、知らず知らずにチェックする癖がついていた。

アジサイの季節には次から次ぎへと魅力的なアジサイが店頭に並べられた。ピンクの金平糖のような細かい額が丸くびっしりついたもの。 ブルーに白い縁取りある大きな額が手まりのように咲いたもの。アジサイなのにローズピンクの深い色をしたもの。 額アジサイも額が二重や八重になったものなどである。

それらが一度にではなく、売れてなくなれば次の鉢と云う風に3.4鉢づつ並べられる。 たいてい次の週にはすべて売れて、新しいアジサイの鉢に代わっている。

そんな風にして、もうアジサイの鉢植えもおしまいだなぁと 思える6月の半ば過ぎ、素敵な瑠璃色の小さめの花を多数つけたアジサイの鉢が眼にとまった。 近寄ってよく見るとヤマアジサイと書かれ、値段も手ごろである。

ルリシジミチョウの羽根のような小さな額が周囲を取り巻き、中心の小花も濃いめの藍色である。 濃い緑の葉は普通のアジサイより細く先がとがり、枝も濃い茶色をしていて、野趣に富んだ風情をしている。

一目で気に入ってしまったが、まずは歯科医院へと急ぐ。我家にはすでに数鉢のアジサイがある。もう植える鉢も置く場所もないでしょうと 自分に言い聞かせ、帰りには花を横眼で見ながら通り過ぎる。歯の治療をしているうちにしっかり心変りがしたのである。

しかし次の週、まだ店先にあるこのアジサイを見たときにはもう絶対買って帰ると決めていた。 歯の治療の間に売れてしまっては困るので、取り置きしてもらおうかと思ったくらいである。

声をかけると店主は「好きなのを選んでください」と前に置かれた鉢を移動させてヤマアジサイの株が良く見えるようにしながら云う。 三鉢ある一番奥の鉢が脇枝がたくさん出て、姿もよく花数も多い。

来年も咲かせられるかなぁ。色は変わらないかしらとつぶやく私に、 さぁそれはわからないとちょっと笑顔の店主殿。私が選んだ鉢を店内に持ってはいり、包装をしながら 「今年はヤマアジサイが安いんです」と嬉しそうに言う。

内心思っていたところなので、そうですねぇと相槌を打つ。その時ふと、この店主殿、 花屋であるよりも山屋が似合う人なんだということに気が付いた。

そういえば市場の入り口の店の時も、 サルトリイバラの赤い実が付いた蔓がよくぶら下げてあったっけ。太い葛の蔓で編んだ籠などもあったなぁ。 豪華絢爛な花よりも野草の方が多かった。

あのころから店の名は「野の店」だったんだろうか。店の名前書いてあったっけなどと思う。 藍姫と云う名を持つこのヤマアジサイは今我家の玄関にあって時々ルリシジミが訪れ、扉を開けた拍子にひらひらと舞いあがって、 ヤマアジサイの花が舞ったのかとハッとさせられることがある。

2015.6.30