これまでの花日記

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ミヨウガ

15年ほど前に今の家に引っ越した。右隣りは耳の遠いおばあちゃんと子どものいない息子さん夫婦のご家族である。 この一画はどの家も隣家との境は腰までの高さの黒いアルミのフェンスで仕切られている。けれども我が家と、 右隣りとの境だけは木製のトレリスである。

花好きの母親と同居の際、息子さんがそこで花を楽しむことが出来るようにと、木で枠組されたトレリスを取り付けられたからだ。 道路を隔てた向かいは公園で、その公園沿いに道がL字型になっていて、家々はL字の道沿いに、玄関を公園に向けて並んでいる。 我家と隣家はこのL型の角っこに当たるところに建っている。

両家とも家の前にガレージがあるが、我家は道路からガレージを通り奥にある門扉まで入り、その扉の向こうに家は東向きに建っている。 隣家は道路側には蛇腹式のガレージの扉があり、右と後方はトレリスに囲まれたガレージ兼庭を前に大きな家が北向きに建っている。

したがって我家のガレージの左は左隣りとの境に黒いアルミのフェンス、右は素敵なトレリスというわけなのだ。しかも隣家の息子さんは、 車を、ご自分の家の玄関寄りではなく、我家のガレージとの境のトレリス寄りに止められる。こちらの軽自動車はもちろん アルミフェンス寄りに駐車する。ですから私は必然的にこの部分のトレリスを独占できることになった。

早速モッコウバラの鉢植えを置き、その蔓を這わせた。ガレージの長さに沿って玄関まで白いモッコウバラの咲く頃は、 来た人たちが云うには、「奥深い大きなお屋敷に入っていくような感じ」になったのである。奥に建っているのは小さな我家。 最もわたしはそれがひどく気に入ってはいる。

ばあちゃんは息子さんの車の後側部分のトレリスを使っているが、そこは我が家の猫の額にも及ばない幅1メートル 奥行き3メートルほどの庭ともいえない庭のあるところである。自然の成り行きで、ばあちゃんと私はこのトレリス越しに おしゃべりをすることが多い。

とはいえ耳の遠いばあちゃんのこと、おしゃべりと言ってもほとんどばあちゃんの一人語りで、私は手をせっせと動かしながら 返事をするだけでよい。何度も同じ話を聞かされるのには閉口することもあるが、誰もが行く道と修行気分でもある。

私はこの細長い庭の玄関寄りのほうにはナンテンだのマンリョウだのを植え、地際にはエビネラン・ナルコユリ・ホウチャクソウ・ イカリソウなどを配した。そして玄関から遠い奥の方にミョウガを植えたのである。そんなところ日が当たるのかと思われるでしょう。 これが絶妙な具合に日当りがあるのです。

まず朝日がばあちゃんちの庭を通して差し込み、昼頃には太陽が回って南側からの日差しが家の間を縫って入ってくる。 ありがたいことに半日以上は陽が当たるのである。ミョウガはよく育ちました。しかし秋から葉がだんだん茶色くなって枯れ、 冬には地上には何もなかったかのように空地状態になるのです。

これがばあちゃんの気になるところらしい。秋には「ほら枯れてきた」とか冬には「そこが空いているから何かを植えろ」とか言うのです。 そのたびに私は「ここにはミョウガが植わっている」と大声で言うのですが、次の年にはまた同じことの繰り返し。

ミョウガが通じたときには、「ああ ミョウガ。それ物忘れするやろ。私は嫌いや。ボケとかミョウガは嫌い。 なんでボケなんて名前付けるんやろ。花はきれいやのに。」「ボケってボケるのボケじゃなくて木瓜と書くんだよ。」というが それは聞こえない。そして花が咲かない植物も嫌い。

ばあちゃんにとっての植物とは、すべてピンクか赤か黄色の「もの凄くきれいな花」が咲かなければならない。花も大変なんだぁと思う。 そんなふうにして何年か過ごすと、花も実もなく、ただ青々と茂るだけで冬には枯れるミョウガの葉を見ても、ばあちゃんは何も言わなくなった。 きっとあきらめたのに違いない。そこで私はミョウガの香りを毎年黙って楽しんだ。

しかし先日突然ばあちゃんに「テレビでミョウガのことをやっていた。ミョウガて美味しいらしいねぇ。ミョウガできてるの。」と 問いかけられた。ちょうど収穫したばかりのミョウガがまだ冷蔵庫にあって、明日はミョウガ寿司を作ろうとひそかに楽しみにしていた ところだったから驚いた。

「食べてみる? 物忘れはしないと思うけど」というと、食べるという。でも沢山はあげられない。まだ穫れ始めたばかりなのだから。 それに口に合わないで捨てられるのも惜しいしね。「それじゃ ためしに一つだけね」と持ってきて渡す。「いい香りがするでしょう?」

不思議そうなものを見るようにしていたばあちゃんは匂いをかいでみるが鼻が悪いからわからないという。「これ生で食べるの?」 「そう こうして二つに切って斜めに小口切りにして薬味にするといいよ。」すべて動作交じりの会話である。

「ふ〜ん」といいつつなんとばあちゃん大胆にも、いきなりミョウガの先をポキッと折って口の中に入れた。シャキシャキ シャキシャキ。 不思議な表情がだんだん笑顔になってうれしそうではある。

「これ何処にできるの。」「地面から出てくるの」「地面から? ああそう 知らなかった。実がなってるようでもないし、 花も咲いてなかったし」長い間ばあちゃん気にしてたんだ。「ミョウカ゛ちっとも取れへんやんか」とか思っていたのかなあ。 だって嫌いて言うから黙ってたのにね。

90歳近くなってミョウガの初体験よかったね。長生きはするもんだよね。でもばあちゃんの食べたのは、「凄くきれいな花」では ないけれど、一応ミョウガにとっては花なんだってことは言いそびれてしまった私である。

2015.7.29