これまでの花日記

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ドクダミ

市内に住む人々が、まだ土地の安い郊外の建売住宅に居を移し始めた頃のことである。私たちもなけなしの貯金をはたき家を手に入れた。 そこは田や池を廃材などで埋め立てた土地に造られた新興住宅であった。

淀川の堤防がいくつかの池と田畑を隔てた向こうに、長い緑の姿をみせていた。国道沿いでもあり、駅は近く商店街もあり市場もあり、 病院もありで便利なところではあった。

けれども当時家の前の道は舗装もなく私道で、市に移管されて舗装されたのはそこに住んで何年目かのことであった。家はみなその頃の 建売住宅の例にもれず同じような造りであった。私たちより先の住民は4〜5件だったと記憶している。

道路が舗装されて後に、前の空き地に家が建ち始めた。それまで私は朝に夕に、季節によって天気によって表情の変わる堤防の風景を 借景と呼んで楽しんできただけに少しがっかりした。

注文建築で大きな家が建つのかと思っていたが、そうではなく二階建が二件だった。聞くところによると、そこは地元の人が賃貸住宅を 建てるために購入していた土地であったらしい。一軒は大手の製薬会社が借りて、転勤の家族が入れ代わり立ち代わりし、 あまり近所づきあいはなかった。

もう一軒の方は、入居した家族の居住年数は割合に長く、付き合いもある方だった。そのなかでも元農業高校の校長だった老夫婦と 息子夫婦の二世代家族が住んでいた時のことが心に残っている。

この元校長先生、役員でもないのに自治会の集まりなどにはまめに出席し、説明が長引いたり、要領が悪かったりするとヤジを飛ばし、 煙たがられていた。お茶などを入れて持って行くと、おーおーありがとう ありがとうと嬉しそうにもした。

私には人あたりの良い、話し好きの老人であった。ところが数年後に息子の嫁さんが子供を二人連れて家を出た。 おばあちゃんは嫁さんについては息子の押しかけ女房なのだと自慢し、よく世話をしてくれると感謝し、私の眼にもそのように見えて いただけに驚いた。

その後すぐに息子さんも家を出て新しい女性と所帯を持った。家は老夫婦だけになった。すべては静かに進行していて、 あれよあれよという間の出来事であった。おばあちゃんは新しい嫁さんについても、来た時はおじいちゃんの将棋の相手をしてくれると うれしそうに自慢した。

おじいちゃんが頑固だから新しいものなど買わんでもいいと云うのでと云いながら、シミのついた古いテーブルクロスを洗濯しては干していたり、 家賃を持って行ったら、家主さんが「母親の小遣いですわ」といったと何とも言えない表情をして話したりもした。そんなある日おばあちゃんは 交通事故に遭った。

スーパーからの帰り、信号のないところを渡ろうとし、トラックにはねられたのだ。私はたまたまそこに居合わせ、おばあちゃんが いつも行っている近くの病院に救急車で搬送してもらった。

腰の骨が折れていた。一度見舞に行ったが、もうあまり話は通じなくなっていた。私の持って行ったアイスクリームを一匙口の中に 入れてあげると、美味しいと云って笑ったのみであった。退院することなくおばあちゃんは亡くなった。

それからおじいちゃんは一人暮らしを続けた。ときどきわたしに買い物を頼むこともあったが病院通いをしながら、すべて一人でこなしていた。 愚痴を言うこともなかった。息子の嫁がたまに来ているようではあったが、すぐに帰るらしく、あまり見かけたことはなかった。

ある時おじいちゃんはわたしに「おばあちゃんが来よるんや」とぽつりといった。はっとしたが黙ってうなづいた。ほどなくして おじいちゃんも亡くなった。息子さん夫婦が家を片付けて引き上げる時、お世話になりましたとあいさつに見えたらしいが、私は留守にしていて 会えずじまいであった。

その後、ご近所の人が老夫婦には娘さんもおられるのだが、おじいちゃんが頑固で、この娘さんの職業が許せず勘当して、行き来が全くなくなったこと、 息子さんも二人の子供と奥さんを捨て、財産のある今の奧さんと一緒になったこと、おばあちゃんは長年多大の辛抱をしてきて夫婦仲は悪かったことなど、 したり顔で話してくれた。

真相は闇の中。でも おじいちゃん元校長先生らしく筋金入りの頑固者やったことは間違いない。話が本当なら娘は勘当、息子の新しい嫁には頼らず、 最後まで一人暮らしを貫いたことになる。

季節は初夏。誰もいなくなった家の門扉の中に、いつから茂っていたのかドクダミの花が満開であった。それはまるでおじいちゃんの気質を映し出したかのように、 濃い緑のハート形の葉の上に、シミひとつない白い十字の花びらを夕闇に浮かび上がらせていた。

昔気質のおじいちゃんが、信念を通すということは、周囲の者を誰かれなく傷つけてしまうこともあるのだと、白く輝くドクダミの花に心惹かれつつ 私は痛感した。

おじいちゃん、おばあちゃん あなた方はどこへ行ってしまわれたのですか。もう仲直りはできましたか。

2015.8.12